頚椎の低侵襲手術を受けて

50代の主婦”ららんら”と申します。 2014年2月、頚椎ヘルニアとOPLLの併発で脊髄症状を発症。 翌年、浜松でT先生に低侵襲手術(eMacF)を受けました。 ※※あくまでも日記なので、書いた時点での思いを綴った内容です。

2016/09

手術は大成功、あとは自分で

鍼灸の先生が、時々言われる。

神経症状はこれ以上進行しないように、
T先生に手術で治して頂いている。
術前は、一体これからどんなことが起きるか、
悪化進行する可能性があり、怖かったそうだ。

名医を探し当て、素晴らしい低侵襲手術によって、
症状の悪化進行を食い止めてもらえた。
ここで、外科医の先生の仕事は終わっているのだと。

後は、自分で後遺症や自律神経症状との付き合い、
また、落ちてしまった筋力体力の回復をつけていくこと。
術直後から、よいPTリハビリを地元で探して、
受けられればベストだったと言われた。
頚椎リハビリのできるPTを探す…それは難しかった。

私の場合は、発症後、すぐに手術を勧められたが、
保存リハビリを選択し、150日受けた。
歩行障害等改善し、卒業となった。
しかし、
その後、歩行障害や麻痺等の症状が出てきて、
そのたびに安静を保つものだから、
体力や筋力等が、時間をかけて、
人並み以下に落ちていってしまったように思う。

再度手術を勧められたが、術式に悩み、
歩行障害も収まったせいで、また様子見とした。

私は手術を1年早く受けていればよかったなあ~
そうすればもっと治りは早かっただろう。
今になってそう思う。


実際に、手術を受ける頃には、
かなり体力筋力、共に低下していたのではないか。

結果的に、手術でも癒着があったらしく、
T先生には、術中、大変ご迷惑をおかけした。
かなり食い込んでいて、大変だったらしい。

ごめんなさい、自分でこじらせてしまい…
ですが、
先生に手術して頂き、今でも、とても感謝しています


筋力体力、術直後よりはマシ。
少しは付いてきているけれど、体調が良いとすぐに余計に動くから、
症状がなかなか安定していかない、と常に鍼灸医に叱られる。
無計画で、せっかちな性格なんだな~

食事が思うようにとれず、やせてしまったのも一因?
無理に食べることはないが、
身体に負担をかけない程度の、
日常生活動作と規則正しい生活が大事、
そう言われた。

また、何か動的原因があるとすぐに悪化してしまう。
そして1ヶ月くらいは、悪い影響が出てしまう傾向にある。

転倒などはもってのほか、
まだまだ、足元ふらつきやすいので、気をつけて下さい、とのこと。
反省してます…

自分で思っているよりも、
身体能力は、まだかなり落ちていると、
常に自覚していて下さいと、いくたびに注意を受ける。

新たな病変を作らないこと、それが大事。

良質の睡眠、食事と、適度な運動。
陳腐だけど、一番難しくて大切なこと。
ストレスをため込まない事も…
あなたはメンタルは強いから大丈夫だねと言われたが
そんなでもないんだけど…ね~。

『症状は悪くても、そっちに気配りしなくていいから楽だ』と。
そうですか~

生まれつき能天気なんだろう。
うっすらバカが入ってるから、
先のことを、あまり悩まずに済むのかもしれない。

完璧に先々の準備が必要だとは思っていない。
何とかなるさ~という思いはある。
ホントはもっと奔放に生きたかったな~
なんちゃって…

『この日常的な痺れや痛み、様々な自律神経症状…
結構きついはず。よく我慢できていますね』、とマジ顔で言われた。

『これで精神的に参ってしまう人は多いですよ』と言われた。
まあそうかもしれない…
でも、私はなぜか、強いんだな~
ヘルニア仲間に支えられてるせいも、有るだろうな。

術前、
突然に、両脚突っ張って歩けなくなった時も、
全身痺れて息絶え絶えになった時も、
ホントにヤバいのかどうか、妙に冷静になっちゃって。
興味津々で自分の症状を探る方に意識が回っちゃう。

これはホントの麻痺じゃないなとか、
まあ、息苦しくても窒息じゃない感じだから、
もう少しは様子見しようなんて、
なぜだか思っちゃう…
呼吸は苦しいが、
落ち着けばそのうち収まるだろうなんて、
呼吸法を使って整えたりする。
すると、そのうち何とか落ち着き収まっていく…

興奮したり、パニクッたりすると、
自律神経発作のようになるから、
そうするとホントに過呼吸になって、
息が出来なくなっちゃうし…
実際死ぬことはないけどメチャ苦しいよね。

運良くホントの麻痺にならずに済んだけど。
麻痺が始まったら病院へ駆け込もうと思ってた。

出来れば救急車も
恥ずかしいし
休日診療も夜間診療も避けたかった。
多忙すぎる医師の夜の診療は苦手だし。
家族の手を借りるのも嫌だ。

我儘なんだな

※(もちろん皆さん、
必要時は、躊躇せず利用して下さいね。)

勤務先で生命の狭間を行き交う、
具合の悪い方々の様子を多少は、みてきた。
仕事柄もあるのかなあ…

30代の頃に経験した病気に比べれば、何てことはない。
とか思っちゃう。
でも当時もメンタルには来なかったな…

せっかく手術で、
悪いところを綺麗に取ってもらったのだから、
今度は私自身が頑張らなくっちゃね~


でも、一つだけ我慢ならない症状があったなあ…
痺れの圧迫痛だ。あれは到底許せない。

発症時、2ヶ月酷かった。首がゴキゴキとなってから、
喉元から胸のあたりまでの
締め付けられるような苦しい圧迫感は取れた。
他は取れなかったけれど、それでもかなり嬉しかった。

あと数カ月続いたら、絶対にメンタルに来ていたと思う。
そうすると、恐らく、
本来の頚椎の病気より、厄介なことになっていたかもしれない。

その後も何度も、その症状が起きたが、
ひたすら安静を続けると、ひと月ほどで収まっていく。
だから大丈夫だったのかも。

私は偶然が幸いしたけれども、そうでない方もいると思う。
頚椎の病気は、傍からは見えにくいし、理解を得にくい。
そういう面では、辛いなあ…

私の手術の時機

振り返ってみれば、
私の場合は、自律神経症状よりも、
本来の病気である脊髄症状の方が、
今一つ理解できないというか、よく分からなかった。

軽度だったからに違いない…

例えば、手の巧緻運動障害。
持てるはずのコップやお盆を落としたり、
うまく菜箸を扱えなかったり、し始める。

すると手を思わずじっと眺めてしまう。
なんか変だな…とは感じる。

私は物を落とすような、ドジなタイプじゃないから
自分に何が起きたのか知りたくて、
何度も同じしぐさを繰り返して確認した。

手首の返しがうまくいかないとか、
指の力が入りづらいとか、
ボタンが止めにくかったり…

手に持っていたコーヒーの瓶を落とした時、
床じゅうに茶色の粉がパアッと散って、
悲惨な状況に…

びっくりして立ちつくしてると、
息子が黙って掃除機を持ってきて、
きれいに片づけてくれた。

その時、私は、はっとした。
家族が先に気づいてた感じ。

ある時を境に、
昨日まで出来ていたことが、突然できなくなるから。
自分では、なかなか納得がいかなかった。
不思議でたまらない。

パン屋に行ったら、トングでパンがつかめなかった。
観念して、娘に代行してもらう。
自分はお盆を持つ役をしたが、
今度は、そのお盆を長くは持っていられなくなる。

リハビリで両手を上げると、
どうしても右手が左手の動きに遅れる。
リュックをかるう時、右腕が上がらず、左を先にかるって、
右手を上げずに通すことを覚えた。

術後、しばらくして良くなった。

右腕が上がりにくくなり、万歳すると、
ちょうど胸の上付近でストップする。
服を着替えるのが、
何でこんなに大変な作業になるのか、
そのたびに不思議な気分

例えば両腕が上がらなくなるC5麻痺。
気づいても、何でだろうかと不思議なだけで、
家族と話して笑っていた。

無知も、バカと言えばバカである

初期の頃、
階段を手すりなしで降りれなくて、
その状況がどうしても納得できずに、
無理やり降りようとして、足がすくんだり。

歩行障害は、速歩きができなくなり、
のろのろとしか歩けなかった。
脊椎外科医に、
「それは軽い麻痺状態なんだよ」と言われても、
納得がいかなかった

歩けないわけじゃなく、スローなだけだから。
これが麻痺のうちに入るの

でも、歩行状態があまりに遅くなってくると、
他人の視線を感じるようになる。
そういった視線を浴びるのは心地よくないが、
仕方ないな、と思った。

人は普通でない動きに、自然と目がいくものだ。

自己流の考え方で、
感覚麻痺や運動麻痺がないうちは、
まだ、そこまで慌てなくても良いかなと、
のん気に軽く考えていた。

主治医が手術を1度勧めた時も、
『あなたの場合は微妙だな~』
と言われ、
『手術適応だが緊急性がない』
とのことで、運動リハビリで直してやろうと意気込んでいた。
軽度のヘルニアによる脊髄症だし、
統計からみても、治る人は沢山いるんだから。

週2回PTリハを受け、
自宅でも課題をもらい、毎日毎日頑張った。

今なら、歩行障害ほどの脊髄症状が出たら、
自分の経験から、
出来るだけ早期に手術した方が治りが早いと思っている。

私は、脊髄症発症から1年3ヶ月保存治療後に、
手術した。
その間、元気だったわけではなく、
両腕のC5麻痺や歩行障害が、
発症しては治ることを繰り返した。
そのせいか、
術直後、
癒着が酷くて大変だったと、執刀医に言われた

痺れ痛みが後遺症となったのも、
長く経過を見過ぎたせいだろうかなとも思う。

手術の時機は、難しいなあと思う。
私の主治医は、ミエログラフィー検査後、
手術を勧めた。
しかし、保存リハビリを受けたいと
希望した私の意見を受け入れた。

その時、「あなたはいずれ手術になるでしょう」
と言われたのを今でも覚えている。

熟練した先生には、先が見えていたのかもしれない。
T先生と全く同じ診立てをされた先生…。

バカな私は、ただ、首の手術のことを何も知らず、
首を切るなんて怖い、と思っただけだ。

保存治療で治ってる人もいるから、
出来ればそちらを選びたいと、単純に考えていた。

頚椎ヘルニアと頚椎椎間板症だけで、
終わっていれば、手術の必要性も無かったのかもしれない。
ちっちゃいOPLLが邪魔をしていた。

なので、もう症状が良くなることはないのだと、
再発した時に、主治医にはっきり言われたのだった。
言葉少なく、再度、手術を勧められた。

私は、保存治療の間に、少し頚椎症の情報収集をして、
術式にこだわり悩んで、セカンドオピニオン的に、
別の脊椎外科医に診てもらった。
すると手術なんてとんでもない、頚髄症でもないと言われた。
私はびっくりして、手術をまた引き延ばした。
決定的な麻痺や筋力低下が起きなかったせいもある。

その間にも、小さな症状悪化を繰り返し、
そのたびに次第に、回復が遅くなっていった。

地元の主治医は、きっと立派な医師だと思う。
でも、私にはよくわからなかった。

自分の病気の事、手術の必要性、手術の内容、危険度等、
先生とのコミュニケーションが全然足りなかった。
というか、ほとんど会話らしい会話もできてなかった。
頭の中は、疑問符だらけだった。

自分から、もう少し歩み寄るよう、努力すべきだったと反省している。
そうすると、また違った将来があったのだろうか。

人間同士だから、医師と患者にも相性はあると聞く。
自分に合った先生に巡り合うのも、運かもしれない。

私の場合、
名医の低侵襲手術を受けられて、ラッキーだったと思う。

初めてT先生にコンタクトを取った時、
今を逃すともう2度とチャンスはないかもしれないと、
そういう思いだった。
T先生は、
神経根症の患者さんからの連絡をお待ちしています、
と、病院のHPに書いてあるので、1年間遠慮していた。
後悔したくない一心で、一か八かメールしたのだが、
一体どういう返事が返ってくるのか…?

自分が手術適応となるかどうかが非常に心配で、
初メール時は、ドキドキしたのを覚えている。

手術の時機は、難しいが、
当然、逃さない方が後が楽だろうと思う。

私は手遅れにならないうちに手術できて良かった。
ただ、時機は少し遅かったように思う。
悪化はしても症状が改善しない病態だと分かった時は、
早めの手術が望ましい。

朝の状態

朝、娘が薬を飲む時、
傷めた喉に、
長めの大きな形の胃薬をひっかけたようで、
喉の調子が余計悪くなった。

せき込んで辛そうなので、
近くの駅まで車で送ることにした。

私自身の足取りは、最初悪くて、力が入りづらかった。
が、次第に改善していった。

毎朝、布団から出るときは、
ゆっくり横を向いて、そっと起き上るのだけど、
手の力もまだ足りないし、
脚も使い始めは強張るし、グラグラする。
それとふらつき感…。バランスが悪いんだろう。
なので、
きちんと、立ち上がり、歩きだすまでに、多少は時間がかかる。
筋力不足のせいかな~?
ココがロコモなんだろうな~

筋トレ、少しずつでも、がんばろ~

これは素人考え。ホントはなんだろか?
当たってるといいけど。

目覚めてまだ時間があるときは、
布団の中で、足首や足指の曲げ伸ばしの体操をする。
手指や手首等も屈伸する。

屈伸するたびに痛みが走るのが嫌だけど。
動かさないと身体が固まってしまいそうで、
そっちの方が嫌だもんね。

リウマチとは違う気がするなあ
と思っても、ねんのためだからだと、
リウマチ検査を今まで何度もされたけれど、
いずれも陰性だった。

朝の30分程度のこわばりじゃないし、
関節の腫れもないしね…
典型的な症状が違うと思うんだけどな~

結局、リウマチじゃないですね、といつも言われる。


これは脊髄症の後遺症だろうな、と思ってる。


『筋力がついてきても痛みや痺れは取れないよ』
とあるヘルニア仲間が言った。
そしてペインクリニックを勧められた。
え~~
ちょっとは、期待してるんだけどなあ…

ま、痛みは突然消えることも今までにあったし…
人の身体って、何が起こるか分からないかもだしね
あまり気にせず、やっていこう。

トラムを3錠飲んだ日

1日中ほぼ不調だった

MAXで薬を服用して過ごす

鎮痛剤のトラムセットは、
一応は、1日2錠で処方されている。
鎮痛剤なので、痛みが出た時の頓服的使い方でOK。
強い薬だし、痛みのない時は服用しない。

私は副作用で猛烈な眠気が出るので、
車を使う可能性のある日中は、
痛みが強くても、飲まないように我慢している。

日常的に車の運転をするために、
なかなか思うようにトラムセットを飲むことができず、
そのせいで薬の副作用に慣れないのかも。
飲み始めに出た、吐き気の副作用はもう出なくなった。

今まで、1日に2錠以上飲んだ事がないが、

今日は3錠飲んだ。
エチゾラムも4錠服用した
苦しくて耐えがたかった…
歩行状態が悪化していて、少しふらつきもある。

辛い1日だった。

ロコモかな?

夕食後は疲れてできず。
ソファ椅子で、ぐったり…
まあ、料理作った後は、疲れちゃうねえ

夜遅くになって、ようやく立ち上がる。

しばらくじっと座ってると、
立つときが手足がこわばって常に痛む。

ロコモになったらいけないな…
っていうか、もうロコモかな…

ロコモとはロコモティブシンドロームのこと。
皆さん、よく耳にされる言葉だと思う。


詳しく知りたい方は、以下を参照してください。
     
ロコモティブシンドローム
(日本整形外科学会より)
ロコモチャレンジ
(ロコモ度が判定できるテストが載っている)
(ロコモにならないための体操も動画入り)




※後日、体調がかなり良くなった10月半ば、
これならいけるぞと思い、
思い切って、ロコモのテストにチャレンジした

ロコモ度テストは、3種類。

1の立ち上がりテストはセーフ
2の2ステップテストは、ギリセーフかな~
3はヤバくて完全にアウト

結果として、私のロコモ度は2だった


ようやくキッチンで洗い物を始めたら、
気分が悪くなり、遅い定時薬を飲む。
エチゾラムは1/2はやめ、即効性を期待して
1錠にした。
原因は、うつむきと下へかがむ姿勢が多いせいだ。
意外とキッチン作業は気をつけないと首に障る
いつも注意してるが、
不調の時は、薬やネックカラーに頼る。
それで大丈夫なら、充分OKだ

キッチンの洗い物や片付けは、
エアネックカラーを着用してから、再度続けた。

やはりこのカラーは、強力な味方だわ~
動きをある程度セーブしないし。

さあ、今日は、早めに寝よう

ギャラリー
  • +爆弾低気圧
  • 耳鳴りが静か…
  • いつも快適ではない
  • 少しずつ”普通の暮らし”
  • 健診の結果が来た
  • 健診の結果が来た
プロフィール

ららんら

カテゴリー
記事検索
アクセスカウンター
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:



にほんブログ村
QRコード
QRコード
読者登録
LINE読者登録QRコード
最新コメント
  • ライブドアブログ